でぐちろし

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貨幣とは何か。今村仁司さん没後12年に思うところ

貨幣とは何か。

暗号資産(暗号通貨)の台頭、あとスマホを用いた決済の一般化によって、そもそも貨幣・お金とはなんなのだろうか、と思ってしまいます。

 

ブレトウッズ体制の終焉により、「金と交換できる」ということが貨幣の価値を担保する時代が終わった時から、結局のところ何によって貨幣は価値を担保されているのかよくわかりません。

 

貨幣とは何か。

そのような考察は実は2000年以上前からなされ、古代ギリシャプラトンの文献でも考察されています。

その弟子にあたるアリストテレスによって本格的に考察がなされ、人類史において脈々と続いてきた問いです。

 

そんななか、近代経済学のある一派は「法律で定められている」ということが貨幣価値を担保しているのだと考えたりもしました。

これは現在の暗号資産の台頭を鑑みればわかるように、学説としては説得力に欠けます。

 

では、貨幣の価値は何によって担保されているのか。なぜ我々は福沢諭吉のポートレイトに一万円の価値を見出すのか。

あれほど役に立たないものはないというのに。鼻をかむには痛すぎるし、おしりを拭くにも痛い単なる紙にすぎない紙幣。

 

なぜ貨幣は貨幣たりうるのか。

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この問いには今村仁司という学者(思想・思想史研究者)の説明が最も適切であるように思えます。

曰く、“貨幣が貨幣であるのはそれが貨幣であるからだ”という。

循環論法じゃないかと思われるかもしれません。そうです。循環論法なんです。それが、今村仁司さんがカール・マルクスの『資本論』を引き合いに出しながら展開した議論の結論です。

商品は「命がけの飛躍」とマルクスが呼ぶ論理の飛躍を果たし、金(ここでは貨幣とする)となり、“貨幣が貨幣であるのはそれが貨幣であるからだ”という循環論法によって、貨幣の価値を貨幣であることによって担保する。

 

このあたりの詳しい話は込み入ってくるのでまた気が向いたらします。気になる方は今村仁司さんの著書を読まれるべし^_^

 

今村仁司さんが亡くなられて12年。今も古びない本質を見抜く力を持っていた優れた研究者だったと思います。